04:お帰りなさい
あの日のことは、ずっと忘れない。
パパが僕を迎えに来た、あの日――



何で帰ってくるんだろう…
僕にはわからなかった。
嬉しそうにパパが帰ってくることを教えてくれたおじいちゃんに、訊くこともできない。

「都内に部屋を用意したそうだ。ここからも近いから、いつでも遊びにくるといい。」
「…………」
「ライト?」

何も云わない僕の顔を、おじいちゃんとおばあちゃんが不思議そうに覗き込むのが気配で解かった。
目を合わさないように、更に俯く。鼻につんとした痛みが走り、喉が詰まった。
泣きそうだ。

「…僕は、いかなきゃいけないのかな。」
「え――?」

息苦しい空気に耐え切れず、僕は震える息を飲み込んで自分の部屋に駆け戻った。


この部屋にいると、不思議と落ち着く。
ママが使っていた部屋だと聞いている。
当時の僕にはまだ、難しすぎる本がたくさんあって、ずっと主人が居なかった所為か元からなのか、生活感の感じられない無機質な部屋。

でも不思議とそれが逆に居心地よく、落ち着ける空間だった。

「ママ…。僕、どうしたらいいの……?」

きっと僕が望めば、おじいちゃんたちは僕をここにずっと置いてくれるだろう。
強固に突っぱねれば、二度と会わせないようにしてくれるかもしれない。
でも、本当にそうしたいのかと訊かれたら、正直答えが出せないでいる。
パパに会いたいと、少なからず思う気持ちもあるからだ。

「解からないよ……」

パパの記憶は、ないに等しい。
顔は思い出せない。
ただ、大きな背中だけは覚えていた。
いつも、その背中だけを見ていたから。

『ママはどこにいるの?』

1度だけ、パパに質問したことがあった。
しばらく黙ったままだったパパは、静かに云った。

『死にました。どこにも、いないんです。』

淡々とした口調、感情の感じられない声音だった。
愛情が感じられない、他人行儀な対応。
父と子でありながら、遠い存在。
それが、僕にとっての”パパ”だった。

それなのに。
――迎えにくるだって?

「どうして……」

イヤだ。
また、あの背中を向けられるかもしれない。
それなら、ずっと離れていた方が傷つかないでいられる。
離れていた方が、幸せでいられる――
傷つきたくない。
でも、それ以上に――パパを傷つけたくなかった。

昔のことを思い出し悩んでいる間にうとうとしていたらしい。
家のチャイムの音にはっと目覚める。
びくりと全身が震えた。
来たのだと、直感的に感じた。
階下で話し声がして、それから誰かが階段を上がる音が聞こえてきた。
ペタリ、ペタリ。素足で歩いているような音だ。
おじいちゃんやおばあちゃんではない。
その足音が、部屋の前で止まった。

「ライト。…居ますか?」

固唾を呑んで睨み付けていたドアから、咄嗟に目を逸らす。


(やっぱり!)


扉越しで見えるはずもないのに、隠れるように布団の中ににもぐりこむ。
とにかく、己の身を隠そうと必死になった。

「その…、何て云ったらいいのか、そういえば考えてきませんでした。」

返事をせずにいると、また声がした。
淡々とした口調の中に、どこか戸惑っている空気を感じとる。

(この、声…)

聞き覚えのない声。
それでも解かる。

(パパだ…)

扉の向こうに、いる。
頭がぐるぐるした。
声を聞いただけで、何故か自分でも解からないけれど、泣きそうになっていた。

「お久しぶりです、というのも変ですが…。会いたくて、帰ってきました。」

会いたくて――…
根拠はなかったけれど、その言葉は嘘じゃない気がした。
でもまさか。
そんなはずない、そんなはずないんだ!

「これからは一緒に、」
「嘘つき!」

衝動的に、言葉が飛び出した。
内心自分でも驚いていたが、一度言葉に出してしまうと、もう止まらなくなった。

パパはいつでも僕から目を逸らしていた。
どうしてパパは僕を見てくれないのだろうか。
ずっと解からなかったけれど、初めておじいちゃんに会って、その理由が解かった。

『まるで、月の生き写しだなぁ。』

僕を見て、おじいちゃんはそう云ったのだ。
月――ママのことだ。

だからなんだ。
だから、パパは僕を見ないようにしていたんだ。
だって、僕と一緒にいると、パパは傷ついてしまうから。

今なら解かる。
あの大きな背中は、僕だけを拒絶していたんじゃない。
”ママのいなくなった世界”を、パパは拒絶していたんだ。
パパの世界に、僕は入れなかった。必要なかったからだ。
拒絶して忘れることで、パパは傷つかないようにしていた。
だけど僕の存在が、ママを思い出させてしまう。僕がママに似ているから。
ママに似ている僕を見て、パパはずっと傷ついていたんだ。

だからパパは、僕を捨てた。

僕の存在は、パパを傷つける。
僕は、パパの世界に必要のない人間だから。

「僕なんかいらないくせに!僕なんか、どーでもいいくせに…!!」

パパの世界に必要なのは、ママだけ。
僕じゃない。

……それが悔しい。
パパへの怒りが止まらない。
僕のパパのくせに、パパはママしか見ようとしない。
僕じゃない人を必要とするパパなんか、

『お前なんか――』

「大っキライだ…!」

手にしたマクラをドアに投げつける。
そして、はっとした。

何だ、今のは?
自分じゃない誰かが、パパを独り占めしたがっているのを感じた。
いや、これは自分なのか?
自分の感情…
パパを誰にも渡したくないと思う、子供としての独占欲。
しかし、それと表裏一体になって違う何かが垣間見えた、気がする。
気のせいだろうか?
自分は感情的になりすぎて、混乱しているだけなのか。
ドアの向こうには、パパがいる。
姿かたちを、想像してみる。
僕と同じ黒い髪、ひょろりと背が高く、それでいて意外と大きな背中。
記憶には残っていないはずなのに、解かる。
何故解かるのか、当然の疑問が浮かぶ。
父親だから?
血の為せる不思議な力が、父の姿を脳裏に映し出しているのだろうか。
明確ではなかったが、それ以外に答えが見つからなかった。

心のどこかで、小さな違和感を感じるが、僕はそれを無視した。
……気づいてはいけない、そんな何かを感じたのだ。

息が詰まる。
パパはこのまま去っていくだろう。
だって、大キライと云ってしまったから。
そして二度と僕の前には現れないかもしれない。
お互いの幸せのために、それが一番良い選択だと思ったけれど。
だが自分は、今とても後悔している。
云わなければよかった。
なんて我が侭な子供だろうと、パパはきっと呆れている。
やっぱりこんな子は要らないと、思ったに違いない。
いやだ。行かないで。
僕をおいていかないで……!

「私は、もう絶対に貴方から逃げません。」

見開いた目から、涙が零れた。

「貴方と暮らすつもりで用意した家で、待っています。
 貴方が許してくれるまで、ずっと。ずっと待ってます。」

待っていてくれると云った。
僕のことを。

僕は、ずっと寂しかった。
ママはいないのだと知ったあの日から、よりパパに愛してもらいたいと望むようになった。
自分の存在意義の心もとなさに、いつも不安だった。
ちゃんと僕を見てほしいと、心の奥で、声をあげて泣いていた。

その声が、今ようやく届くのかもしれない。
一番望んでいたパパに。
――でも、怖い…
もしもまた捨てられてしまったら、今度こそ、もうパパと向き合う勇気は持てないだろう。
ずっと傷ついたまま、一人ぼっちになる。
そんなのは嫌だ。そうなるくらいなら、いっそこのまま……
でも……
逃げたい。この選択から、逃げ出してしまいたい。
もしかしたら、パパも昔僕をおいていってしまった時、こんな風に悩んだ結果、逃げ出したのかもしれない。
パパも怖かったのだ、ママのいなくなった世界で、一人ぼっちになる現実が。
でも僕がいる。
そのことに、パパが気付いてくれた。
だから「もう逃げない」と僕を迎えにきてくれたんだ。
ここで僕が逃げたら、今度はパパが一人になる。
置いていかれたものの気持ちは、僕が一番よく解かっている。
パパの言葉を信じるのならば。
パパの世界に、僕の居場所が欲しい。

再びペタリ、ペタリと、階段を降りる音。
少しして、玄関の扉が開く音が聞こえた。
行ってしまう。
僕の答えを聞かないままに。
らしくないではないか。

『我慢なんて、待ってるなんて、いつものお前らしくないだろう!』

突き動かされるように窓辺の机に飛び乗り、勢い良く窓を開け放った。
そのすごい音に驚いて、こっちを見上げたパパと目が合う。
想像していた姿より、少し歳をとった、でもやっぱり変わらないパパ。

「待ってよ!このまま帰っちゃってもいいの?!僕を連れて行かなくて、パパはそれでいいの!?」
「――らい、」

叫んだ僕を見て、パパが反射的に名前を呼ぼうとした。
だが、はっとしたように口元に手を当て俯くと、親指の爪を噛みながら、もう一度ゆっくりと僕と目を合わせる。

「……ライト、ですか?」
「そうだよ。忘れちゃったの?」
「………いいえ。覚えていますよ。覚えて、いますとも。」

無表情のように見えるパパの顔に、僕は小さな感情の動きを見た。
あれは、――歓喜だろうか?
パパは喜んでいた。
僕の顔を見て、パパは嬉しいと思ってくれたのだ。
初めて見た、パパの嬉しそうな顔。
だけど、どこか懐かしさを感じた。
遠い遠いその懐かしさは、幼い頃の忘れていた記憶なんだろうか?
それとも……

「パパ…!」
「何ですか?」
「パパは僕と一緒にいても……幸せになれますか?」
「…………」
「パパは僕のことを、
 愛して、くれますか?」

昔からずっと、訊きたかったことを僕はようやく言葉にした。
どう伝えればいいのか、解からなかったあの頃。
解かっていたとしても、怖くて訊けなかっただろう。
今も怖い。
でも、ここで進まなければ、僕たちは何も変わらない。
お互いがずっと一人ぼっちのままだ。
パパの言葉を信じて。
パパの嬉しそうな顔に一縷の望みを掛けて。
僕は、パパの答えを待った。

「わた、しは…」
「…………」

声がかすれ、一度喉を湿らせてから、もう一度パパは口を開く。

「私は、貴方と一緒に幸せになりたいです。」
「――――」

「私は、貴方を愛しています。」

パパの答えに、涙が、溢れた。

「……っ、パ…パ…!」
「一緒に帰りましょう。我が家へ。」

涙で滲んだその向こうで、パパが笑った。
差し伸べてくれた手は、間違いなく自分に向けられている。

「…ん、うんっ…。
 お、かえりな、さい…、パパっ!」

パパが僕をまっすぐに見てくれている。
もうきっと、背中を向けられることはないだろう。
そう、信じられた。
これからは、一緒に幸せになっていこう。
一緒に。

正直、ママよりももっと愛してもらいたいと思う気持ちがある。
やっぱり、ママに負けたことが悔しかったから。
せめてママと肩を並べるくらい、愛してもらいたい。
でもこの気持ちは、パパには内緒なんだ。
『ママと同じくらい大好きだよ』って云わせたら、僕の勝ち。
いつか絶対に云わせてみせる。

その日心に決めた、僕だけの決意。
『03八百屋さん』お題の続きです。
うわわ、前お題を書いた日付が去年ですらない…<がたぶる
このお題は絶対コンプリートしたいので、気長にお待ちいただけると幸いです。

はてさて、これでようやく団地に住み始める竜崎とライト。
次はまた現代に戻って大学生ライトとおっさん竜崎とほか愉快な仲間たちのお話です。
メロとニアに出番があるといいね。<他人事
でも次のお題が難関だなぁ。どーしよ。

...20080504
×おしまい