「暇ですね、月くん…」
壁に掛けてある、額縁付きの月の特大のキラスマイル写真に見惚れながら、竜崎は盛大にため息を吐いた。
相変わらずLとして刑事事件を担当していたが、コイルとドヌーヴをメロとニアに引き継いだ今では、以前に比べ仕事量が少ない。
それは、仕事よりもライトとの時間を大切にするためだったので、後悔はない。
それでも…
「早く帰ってきませんかね、ライト…。暇で暇で、死んでしまいそうです…」
こうなったら、昼ごろまで見ていた妻と息子のホームビデオ(監督・監修:竜崎)をもう一度見直すしかないと、リモコンを手に取ったときだった。
―――TLLL...TLLL...
滅多にならない家の電話が鳴り響いた。
仕事柄、電話は数種類使い分けているが、これは家庭用の電話の音である。
掛けてくる可能性があるのは、ライトの学校関係か、団地の緊急連絡網くらい。
仕事ではない以上、出る気が進まなかったため、無視を決め込むことにした。
他所事よりも、妻と息子の愛らしい姿を見るほうが大切である。
しばらく鳴り続けた電話が、しばらくしてようやく静まる。
竜崎の粘り勝ちである。
しかし、今度は私用のケータイの方が鳴り出したので、ホームビデオに釘付けだった視線を、仕方なく電話に移した。
このタイミングで鳴り出すということは、先ほど家電に掛けてきた人物だろうか。
ケータイの番号を知っていて、家の電話も知っている人物。
学校関係者でもなければ、団地の連絡網でもない。
「…ライト、か?」
いや、ライトなら最初から直接ケータイに掛けてくるだろう。
すると誰が…?
着信画面には、見慣れない番号。
家電もナンバーディスプレイであったが、見向きもしなかったので同じ番号だったかは解からない。
仕事の可能性もあるが、ライトの可能性も捨てきれない。
とりあえず、出てみることにした。
「はい、どちらさまでしょう?」
『Hellooo~?』
やたら陽気な英語が受話器から聞こえてきた。
イタズラ電話かと思い、通話を切ろうとした手が止まる。ひとつ心当たりが浮かんだのだ。
(そうか、やっと……)
思わず浮かんだ笑みは、他人が見たら裸足で逃げ出したくなるほど気味の悪いものだった。
06:出張
夕ご飯の支度が整うと、朝と同じように、メロとニアも含めた4人で食卓を囲んだ。
食卓には、メロが希望したクリームシチュー、ライ麦パン、ミックスビーンズのサラダに、春キャベツとベーコンの巣ごもりココットが並んだ。
良い匂いが部屋中に充満し、4人の食欲は否が応にも上がった。
「「「「いただきます。」」」」
声をそろえてあいさつをすると、メロは早速テーブル中央に積んである、片手サイズのライ麦パンを手に取った。
ほのかに温かいパンを半分に割ると、ちぎった所から微かに湯気が立ち上る。
より香ばしい匂いがメロの鼻孔をくすぐり、堪らずかぶりついた。
「んまーいっ!やっぱパンは焼き立てが一番だよな~。」
もちろん、このライ麦パンもライトの手造りだ。
噛みしめるようにしてメロはパンを堪能すると、続いてシチューへと手を伸ばす。
スプーンで濃厚なシチューを掬い上げ、やけどしないように注意しながら口に運ぶ。
口に入れた瞬間は満面の笑顔だったのだが、まぐっと咀嚼した瞬間、メロは口をへの字に曲げて固まった。
口の中のモノをごくりと飲み込むと、皿を手に持ち、立ち上がる。
「ライト!俺、シチューのジャガイモは食べないって云っただろ?あ、まだ3つも入ってる!」
なにやらシチュー皿を差し出しながら文句をつけ始めた。
メロは”ホクホク”や”パサパサ”といった食感の食べ物が苦手なのだ。
「ごめん、メロ。でもジャガイモだけ避けるのって難しくて。」
ライトが苦笑いで謝ると、フンと不服そうに鼻を鳴らしながらメロは着席する。
「次から気を付けてくれよな。」
「はいはい。」
眉間にしわを寄せ、メロは必死にスプーンでジャガイモを潰し始めた。
そうすることで、ジャガイモのホクホクとした食感を誤魔化そうとしているのだ。
何のかんのと文句を云いながら、用意されたものはきちんと残さず食べるのがメロの良いところである。
そんなメロに冷たい視線を送りながら、ニアが呆れた顔でため息を吐いた。
「良い年した大人が、イモごときでごちゃごちゃ云わないでください。
文句があるなら食べなければいいでしょう。
せっかくライトさんが作ってくださったのに、失礼ですよ?」
隣に座ったニアに注意されると、メロはむすっとした顔で作業(ジャガイモ潰し)を続けながら云い返す。
「うっせ。ちゃんと食うよ。」
「ライトさん、メロをあまり甘やかさない方が良いですよ。
同じイモでも、コロッケやチップスなら好きなんて云うんですから。
メロはただ我が侭なだけなんです。」
「誰が我が侭だって?そーいうニア、お前だって煮魚や焼き魚は食うくせに、生魚は食えねーだろうが。
寿司、刺身が食えねーなんて、ニッポンに失礼だと思わねーのか?!」
「生食が許されるのは、野菜とフルーツだけです。魚を生で食べるなんて、ニッポンはクレイジー過ぎます。」
気持ちは解からなくもないが、そこまで云わなくても…、と日本育ちのライトは思わず苦笑いである。
とはいえ、せっかく楽しい食卓なのにケンカを続けられるのも堪らない。
少し考えたライトは、2人に聞こえるようにぼそりとこう云った。
「明日は納豆のフルコースでも作ろうかな~?」
「「!?」」
お互いの好き嫌いで文句を云い合っていたメロとニアがピタリと固まった。
実は、納豆は2人が共通して嫌いな食べ物である。
「ら、ライトさん。このビーンズのサラダ、キューブチーズが入っていて、とてもおいしいですっ。」
「ライト!こ、このココットもタマゴがトロトロですごくうまいぞっ!」
「ありがとう。よろこんでもらえてうれしいよ。」
途端にケンカを止めた2人に、ライトは苦笑した。
昼の買い物の一件もあり、ライトはまるでメロとニアの母親にでもなった気分だった。
偏食な子供がいる家庭のママは大変である。
そういえば、この家にはもう1人、偏食家がいる。
先程から黙々と独特な方法で危なげなくスプーンを摘みあげ、シチューを口に運ぶその偏食家に、ライトは声を掛けた。
「……パパ?どうしたの?」
問われた偏食家――もとい竜崎は、首を傾げて息子の顔を不思議そうに見つめる。
「何がですか?」
「いや、なんかずいぶんと静かだから、さ。」
メロとニアも食事の手を止め、竜崎に注視する。
2人も竜崎の様子がおかしいことには気付いていた。
普段であれば、メロがシチューのジャガイモに文句をつけた時点で喧々囂々してそうなものである。
しかし今日はどういったわけか、竜崎はおとなしかった。
こんなこと、そう滅多にあることではない。
「どこか、具合でも悪いの?」
「いいえ。すこぶる元気ですよ。」
「じゃあ、シチューが口に合わなかった?」
「とんでもない。ライトの作るものは総じてとても美味しいです。」
「そう?」
竜崎は証拠を見せるかのように、次々にシチューを口に運ぶ。
そんな様子に違和感を覚えたが、ライトは食事を再開することにした。
息子の姿を目の端でとらえながら、シチューに続いてサラダを啄みだした竜崎は、「そういえば」と口を開く。
ライトは「何?」と相槌を打ちながら、パンへと手を伸ばす。
「明日から、仕事で少々家を留守にすることになりました。」
「……え?」
「期間は1ヶ月くらいですかね。」
「そんなに?」
「寂しいですが、仕方ありません。そういうわけなので、留守をお願いしますね。」
不意に聞かされた重大事項に、ライトはパンに伸ばしていた手を止めて、思わず竜崎を凝視した。
団地に住み始めてから、十数年。竜崎が家を空けることは何度かあった。
だが、1ヶ月という長期間、家を空けるなどと云われたのは初めてのことである。
茫然としながら思考中だったライトの手を、がっしと掴んだ者がいる。
メロだ。
反射的に振り返ったライトに、ニヒルな笑みを浮かべながら、メロは云った。
「ライト。寂しがることはない。大丈夫、俺がずっと傍にいてやるよ。
だから、ライト。
――俺のために、毎日美味しい味噌汁を作ってほしい。」
俺のためだけに、と強調するように更に繰り返す。
まるで3流ドラマのプロポーズのようなことを云い出したメロに、竜崎は思い出したように付け加えた。
「メロも一緒に連れて行きます。」
「んなっ?!」
「先方からの依頼です。拒否権はありません。」
竜崎の言葉に固まるメロ。
メロの手を払い除け、次に意気揚々とライトの手をとったのはニアだ。
「ライトさん。やっと2人きりになれますね。
恥ずかしがることはありません。将来の予行演習だと思えばいいんです。
――私と一緒に、夜明けのカフェオレを飲みましょうね。」
横目でチラリとメロを一瞥し、勝ち誇ったようにニヤリとニアはほくそ笑む。
嫌味なニアの態度に、メロはギリギリと爪を噛んだ。
そんな攻防を繰り広げる2人のことなど無視して、更に竜崎はしれっと付け加える。
「明日からメロの代わりの教育係として、助っ人が1人くることになっています。
来日するのは初めてだそうですが、仲良くしてあげてくださいね。」
「なんですって…っ!?」
ニアは喉まで出かかっていた「余計なことを」という文句を無理に飲み込んだ。
がっかりした様子でライトの手をそっと離す。
自由になった手で、パンを掴み、ライトはパンをほおばるが、思考はまだ止まっていた。
――明日から竜崎がいない。
その事実が、ライトの思考を止めているのだ。
メロとニアも、腹に抱えるものはありながら、食事を再開する。
竜崎の発言が発端で発生したこの奇妙な沈黙は、夕食が終わるまで続いた。
時刻は日付をまたぐ頃。
ライトは部屋で1人、まだ起きていた。
机に向かって、ぼんやりと頬杖をついている。
(明日から、パパはいないのか……)
何処に行くのだろうか?
しかも1ヶ月だなんて、長期間も。
(行き先くらいだったら、訊いたら、答えてくれるだろうか?)
それとも、いつものように”仕事に関する話は秘密”にされるだろうか?
ライトは竜崎がどのような仕事をしているか、実は知らされていない。
仕事だけではなく、本名すらも教えられていなかった。
正確には、「訊けない」のだ。
自分の父親の仕事や本名を知らないなんて、特殊過ぎる環境に、納得しているかと云えば答えはNoだ。
当然ライトは、竜崎に仕事のことや本名のことを確認したことが、過去にあった。
だがその際、云われたのだ。
「ライト。もし貴方が私のことを知りたいのであれば、今の生活、今後の将来を総て捨てる覚悟が必要です。
大げさに聞こえるかもしれませんし、変わらないものもあるでしょう。
ですが、今の生活とは違う世界になる可能性は100%です。
私たちのいる世界は、中途半端に知ることが許されないところなのです。
――覚悟ができたら、もう一度訊いてきなさい。その時は、総てをお話します。」
その時の竜崎は、今までに見たこともないほど厳しいものだった。
子供の時のように拒絶されているのかと思えば、そうではなかった。
竜崎はこうも云っていたのだ。
「もちろん、ライトに私のことを知ってもらえたら、とても嬉しいです。歓迎します。
ですが、ライトにはライトの夢があるでしょう?
私はライトの将来を縛りたくありません。そんなこと、したくないんです。
――もう二度と、私の我が侭で、愛する人を縛りつけることは絶対に……」
今の生活に不満を抱いたことはない。
竜崎から感じる愛情は本物だと信じられるし、”知らない”ことで不都合も感じていない。
メロとニアに、聞こえは悪いが、見張りのように張り付かれて学校生活を送るのも慣れてしまった。
――ただ、不安はある。
もし、このまま今の生活を、すなわち竜崎たちのいる世界を”知らない”ままの生活を続けたら、将来どうなるのだろうか?
今はまだ大学生であり、世間一般的な「家族」として過ごしているが、社会人として自立できるようになった時、
今の「家族」はそのままなのだろうか?
たぶん、違うのだろう。
ライトがこのまま”知らない”ままだった場合、竜崎たちはいずれ、去っていってしまうのではないだろうか。
竜崎の言葉から、ライトはそう感じ取っていた。
(そんなの…、嫌だ……)
おいていかれる寂しさ、虚しさ、悲しさは、子供の頃に散々味わった。
もちろん、あのときとは状況が違うとは思う。
ライトはもう子供ではないし、知るか知らないか、選ぶ権利を与えられている。
どちらの選択肢も、何かを失う。
だが”それ”が何かは解からない。
それでもいつかは、ライト自身が決めなければならない選択肢だ。
答えを出さなければならない日は、もしかしたら近いのかもしれない。
竜崎が仕事でいなくなる度に、ライトは、いつか来るだろうその日を恐れていた。
『――ライト。大丈夫か?』
(キラ……)
鬱々と悩んでいることを察したのだろう。
キラがライトに話しかけてきた。
余計な心配を掛けてしまったな、と思い至り、悩むのをやめ、ライトは現在の状況をキラに報告することにした。
(キラ。パパが1ヶ月どこかに行っちゃうらしいんだ。メロも連れて。)
『そうらしいな。』
キラは常にライトの中にいるのだ、知っていて当然だろう。
ライトにもそれは解かっているが、それでも、ライトが”知らない”ことに関する話題を忌憚なく話せる相手はキラしかいない。
ただ相槌をうって聞いてくれるだけでも、ライトにとってはとてもありがたいことだった。
(何処に行くんだろう?危険はないのかな?)
『解からない。けど……』
そこでキラは云い淀む。
キラの口調から、なんとなく怒っているような雰囲気を感じ取る。
珍しいことだった。
興味を惹かれ、先を促す。
(けど、何?)
『今回アイツは、様子がおかしい。――否、あやしい。』
(あやしい?)
キラの云う”アイツ”が、竜崎のことだというのはライトにも解かったが、云っている意味が解からなかった。
ライトは竜崎の様子を思い浮かべてみる。
しかし、不審な点は見当たらなかったように思えた。
強いて云えば、少しおとなしかった気はするが、基本的に竜崎は言動が淡々としており、不自然に感じるほどではない。
『おとなしい時点でおかしいだろう。普段ならいざ知らず、明日から1ヶ月もの間、ライトと離れるんだぞ?』
(あっ……)
云われてみれば、そうかもしれない。
竜崎は自他共に認知されるほどの親ばか――もとい、過保護な一面がある。
1ヶ月も愛する息子と離れ離れになるなんてことになれば、普段から過度なスキンシップが、より強力になるのは必然だろう。
それがどうだ、あのおとなしい様は。
『むしろ逆に、妙に機嫌が良かった。気持ち悪いくらいにな。』
(機嫌が、良い?)
そうだろうか?
竜崎は感情の起伏が表に出ないタイプである。
表情から感情を読み取るのは至難の業なのだ。
息子だけあって、ライトにも、竜崎の感情の機微は多少は解かるつもりだ。
思い出してみるが、今日の竜崎の様子から、機嫌が良い様は感じられなかった。
しかし、キラが云うのだから間違いないのだろう。
不思議とキラは、竜崎のことをピタリと云い当てることができるのだ。
(そんなに機嫌良かったの?)
『ああ。まるで、今回の仕事を心待ちにしていたかのようだ。
出発が明日って云うのも、案外先方のためじゃなくて、自分のためじゃないのか?』
今朝の段階では今回の仕事の話はまだなかったのだろうと推察される。
でなければ、こんな重要なこと、もっと早くライトに知らせていただろうからだ。
ということは、ライトが大学に行っている間、すなわち昼間から夕方に掛けて仕事の依頼がきたということになる。
己のペースを崩されることを嫌う竜崎が、急な依頼を積極的に取り組もうとするだろうか?
いや、ないだろう。
そう考えると、キラの云う通り、竜崎が自分のために出発を明日にした可能性は非常に高い。
(確かに、パパはあまり、喜んで仕事をするタイプではないと思うけど。)
『一概に違うとは云えないけれど、少なくとも今はそうだろうな。
ライトと一緒にいることが、何よりも幸せだろうから。』
そうハッキリと云われてしまうと、気恥ずかしいのだが、竜崎の言動を顧みると否定はできない。
そしてキラは、とうとうとんでもない推論を出してきた。
『今回1ヶ月も出張するのは、もしかして、仕事じゃないんじゃないのか?』
(仕事じゃ、ない?)
まさかそんなことが?
だとすると竜崎は、ライトに嘘を吐いていることになる。
何のためにそんな嘘を?
嘘を吐いてまで、喜んで1ヶ月も居なくなる理由とは一体――…?
中途半端ですが、竜崎さん出張に出かける(前夜)編です。
次はメロの代打教育係がやってきます。
奴は口調がどんなんだか解からんな。不安だ……
関係ないけど、一応未来のお話なので、電子機器の名称等を書くときすっごく気を使います。
「ホームビデオ」とか、「ビデオ」がすでに死語なのに、何て云えばいいのか解からず、そのままです。
同じく、「ケータイ」も「スマホ」っていうのもおかしい気がするのでそのまま使っています。
変な語彙が出てきても、気にしないで上げてください。
...20160718
×おしまい