琥珀色のとろみを、銀色のスプーンで掬い取り、口に含む。
時々思い出したように啜るロイヤルミルクティーにも、イヤというほど砂糖を溶かしこんであるはずだ。
模木が集めたヨツバ社員の資料を捲りながら、月は隣で同じくヨツバ社員の資料を眺めている世界の名探偵を横目で眺めた。
本日のおやつ、ハチミツ一瓶とロイヤルミルクティー。
果たしてこいつは本当に同じ人間という種族なのかと、ひたすら月は問いたかった。
ノンシュガーに生きて干乾びて逝こう
器用に親指と人差し指だけで抓まれた銀色スプーンが、ハチミツ瓶に当たるたびにカチャカチャと音をたてる。
部屋中を満たすハチミツの甘い匂いから逃げたのか、部屋には2人以外誰もいなかった。
手錠で繋がれているために逃がれられない月は、せめてもの抵抗に、顔を背けて短いため息を吐く。
「何ですか、月くん。あからさまに疲れたため息など吐いて。休憩は先程とったばかりですよ。」
「……別に。疲れたわけじゃないよ。」
本当は甘い匂いに気持ちは辟易と疲れていたが、この場はそう誤魔化しておいた。
月の返事にそれほど興味はないのか、竜崎はひたすらハチミツを味わっていた。
お前はクマかとツッコミを入れるべきか迷う。
「ハチミツって、そのまま食べて美味しいのか?」
「何を云っているんですか?これが一般的な食べ方でしょう。」
一般的な食べ方、なのか?
あまり甘いモノを好まない月は、その意見が正しいのか判断できず、曖昧に笑って誤魔化した。
「僕、ハチミツってあまり好きじゃないんだよね。」
甘いモノは全般得意ではなかったが、中でもハチミツは特に苦手であった。
喉に絡みつく甘さといい、ベタベタするとろみといい、何かにつけて食べることさえ遠慮したいところである。
「月くんは、美味しいハチミツを食べたことがないんですね。」
「ハチミツ事態、ほとんど食べたことないよ。」
「それは勿体無い。一口に”ハチミツ”とはいえ、多くの種類があるんですよ。
古くはエジプトの壁画にも描かれているほど歴史があり、治療的・医学的にも重宝されている。
こんな素晴らしいモノを『好きじゃない』だなんて、本当に勿体無い人生をおくってきましたね。」
「そこまで云うか。」
歴史がある健康食を苦手なだけで、人生を哀れまれるとは。
失礼な話だ。
「日本で得られるハチミツなんて、世界中にあるハチミツのほんの一握りしかないでしょう。
色は無色透明から暗褐色、味もあっさりから濃厚まで幅広い。
ちなみに、色が薄いほど甘さも控えめです。」
「へえ…」
突然始まったハニートーク(甘言という意味ではない)に、呆れを通り越して感心してしまう。
竜崎の手に抓まれた瓶の中の琥珀は、決して無色ではないが、それほど濃厚ではない。
つまり、甘さは控えめということか。
目の前にあるハチミツの検分をしている姿を何と思ったか、竜崎はかっくりと首を傾げて月の顔を覗き込んだ。
「食べたいんですか?」
「え?」
「いいですよ。一口、どうぞ。」
何を云われたのか、一瞬本気で解からなかった。
差し出された銀色スプーンと琥珀色が目に入り、ようやくハチミツを勧められたのだと理解する。
「さあ、どうぞ。」
断るべきか、受け入れるべきか迷った。
あれだけ薀蓄を語られた後だけに、断るのも悪い気がする。
とはいえ、あの甘党竜崎がおやつとして食べているハチミツである。
一口食べただけで、後でグチグチ云われても堪らない。
それにだいたい、他人の食べかけだ。
多少潔癖なところがある月は、食べ回しや飲み回しということが苦手であった。
竜崎に手ずから食べさせてもらうという構図も、どこか気恥ずかしい。
変に意識している自分に内心ますますテレながら、月は思い切って竜崎の申し出を受け入れることにした。
自分から差し出してきたのだから、文句は云うまい。
がしかし、薄く開いた月の口は、手錠の繋がれている竜崎の右手によって塞がれた。
口だけではない、顔全体を覆うように竜崎の右手は月の顔面を掴んでいた。
チャリと響く硬質的な鎖の音が耳に届いたことで、自分の状態をようやく認識し、唖然とした。
「なっ……」
「…冗談、ですよ。これは私のおやつです。あげるわけないでしょう?」
「!?」
「これで我慢してください。」
月の顔から手を離した竜崎は、瓶を抓んでいたために指についたハチミツを、月の唇に塗りつける。
思ったよりべたついた感触がなく、ぬるりと掠った竜崎の指に、月は羞恥と怒りで赤面した。
銀スプーンを突っ込んだハチミツ瓶を右手に、相変わらず竜崎は無表情だ。
それがますます莫迦にされたようで腹が立つ。
「いるか、そんなもんっ!」
殴りつけたくて握り締めた拳を抑え、唇に塗りつけられたハチミツを乱暴に拭った。
後は憤りをぶつけるように、ヨツバの資料を次から次へと片付けていった。
隣から再び響いてきた銀スプーンが瓶に当たる音が気に障り、資料を捲る月の手は荒くなっていく。
パラパラ、カチャカチャ。
2人以外誰もいない部屋では、他に何も聞こえない。
怒り心頭の月の隣で、竜崎は表情とは裏腹に、とんでもなく焦っていた。
(あ、危ないところだった…)
本当は冗談ではなく、スプーン一杯のハチミツをあげるくらいの度量は、竜崎だって持ち合わせている。
しかしあの場では、冗談にしなければ自分はとてつもない失態を仕出かしてしまうと思ったのだ。
ハチミツを差し出された際の月の慌てぶりを、歳相応で可愛いらしいと思ったまではよかった。
だが、困ったように自分の様子を窺ってくる目と、薄っすらと赤らんだ頬、無意識にだろう薄く開いた潤った唇が目に付いてしまった。
はっきり云って、イヤラシかったのだ。
年下の、しかも男相手に、自分は間違いなく欲情した。
(相手はキラ、キラなんだ。いや、まだ容疑者の段階ではあるが、それでも馴れ合うべき相手ではない!)
職業柄、あまり他人というものに興味を抱かない性質の竜崎だ。
確かに、前々から夜神月の容姿の美しさや完璧さに感心することはあったが、人間的な感情を持って観たことはない。
あくまで彼はキラ容疑者。
一緒に居ても心地よい空間を与えてくれる、”友人”という立場は認識していたが、一般的な親しい仲だとは思っていなかった。
元々そういうのが得意ではないのだ。
それでなければ、世界の切り札”L”などやっていられない。
それが、欲情した。
この自分が。
自分から、他人と触れ合いたいと思った。
いや、そんな生易しいものじゃなく、はっきり”触れたい”と思った。
唇を重ね、赤く熟れた舌を味わい、骨っぽい男の身体を蹂躙したいと思ったのだ。
夜神月をたまらなく犯してしまいたかった。
ふいに、『恋』という言葉が浮かんだが、この激しい感情をそんな可愛らしい言葉で片付けてしまえるのだろうか。
いや違う。
では何だ?
悩んだ挙句、世界の頭脳にまた新たな言葉が浮かび上がった。
これは『覚醒』なのではないだろうか。
今まで眠っていた”人間の性”というものが、突然に目覚めたのだ。
自分の中に爆発的に蠢いているこの感情は、間違いなくヒトとしての本能だ。
アガペよりもエロスの方がしっくりくる。
どちらにせよ、つまりは愛だ。
(私は、夜神月を、愛している?愛して――…)
その言葉のあまりに甘い響きに、竜崎の心臓は早鐘を打つ。
痛いほどの動悸に、自分を取り戻そうと無意識に親指を噛んだ。
奇しくもそれは、先程月の唇をなぞった指であった。
未だにこびり付いたハチミツが、上唇に当たりぬるりと滑る。
しかし、何故か甘さが感じられず、苦いばかりだ。
(間接、キス…)
その事実に気付くと、ますます竜崎の心臓は激しく躍った。
ドキドキし過ぎて干乾びてしまえ。
ハチミツはエロスアイテムだよね。
...20070110
×おしまい