「竜崎!?」

肉をえぐる様に掴まれた肩の感触が、無数の針で刺されたような心臓の痛みで飛びそうだった私の意識を正気付かせる。
耳を貫いたその声は、こんな時なのに凛と涼やかで心地よい。

(――夜神 月……)

最期の力を振り絞って仰いだ彼の顔は、勝利を確信した笑みが浮かんでいた。

(やはり…私は…、間違って………なかった…。が…ま……)

重さに耐えかねるように瞼が下り、意識は闇に放り込まれた。
闇の中で、何度も呼び続ける切迫した月の声を聴きながら悟る。

(私は、死んだのか――…)

夜神月は、やはりキラだった。
敵ともいえる彼の腕の中で死ぬことを、こんなに嬉しいと思っている自分は、なんて愚かなんだろうか。
あわよくば、ずっとこの瞬間を感じていたいとさえ思う。

「竜崎っ…、竜崎…!」

掴まれた肩を、何度も揺すられる。

(そんなことしたって、私はもう駄目ですよ。)

いつまでも闇の中で漂い続ける意識の片隅で、若干の違和感を感じとる。
死の瞬間とは、こんなに長く感じるものなのか?
生憎死ぬ体験などしたことがないので、解かりようがない。

「竜崎!」

ひと際大きく聞こえてきたその声に、思わず身体をびくつかせる。
不意に覚醒した意識が、重力のままにイスから落ちそうになる身体を察知して、必死に体制を整えた。

「大丈夫か、竜崎?」
「え?」

ほど近い場所から名前を呼ばれ、声の主を振り返る。
そこには無精ひげを生やし、少々くたびれた様子の夜神総一郎が心配そうにのぞきこんできていた。

「夜神、さん?」

辺りを見回すと、適度に華美な装飾のある部屋にいた。
部屋の片隅には観葉植物が置かれ、アンティーク調の家具には所狭しと、本や紙の束が積まれている。
正面には、何かの映像を映したディスプレイモニターが複数台置かれていた。
どうやら、先程まで自分がいたビル内ではないようだ。

(はて?ここは……?)

状況が把握できず、竜崎は困惑する。

――自分は先ほど、死ぬところだったのではなかったのか?
――病院に運び込まれでもして、一命を取り留めたのか?

それにしては、様子がおかしい。
病院に運ばれたのであれば、処置後に移動させるはずもないので、病院内で目を覚ますのが普通だろう。
百歩譲って、病院に運ばれていなかったとしても、死にかけた人間を、イスに座らせておくはずがない。

眉間にしわを寄せた怪訝な顔でいる竜崎に、溜め息を吐きながら、総一郎が労わる様に声を掛ける。

「イスの上でぼーっとすると危ないぞ。」
「……はい。」
「眠いのであれば、そこのソファで少し横になってはどうだ?
 うちの家族は皆就寝中だ。寝ている間に何か起こるとは思えないし。今のうちに仮眠を取った方が良い。
 監視で目を離したくない気持ちは解かるが、1日目から気を張っていては、後が続かないだろう。」
「監…視…?1日目……?うちの、家族……?」

次々にもたらされる情報に、竜崎はますます混乱する。
総一郎の家族とは、すなわち夜神家のことだ。
確かに捜査の一環として、夜神家に隠しカメラを仕込んだことはあったが、それは終わったこと。過去の話だ。
今さら夜神家を監視する必要などない。
竜崎が監視したいのは、総一郎の手前、あの時は明言は避けていたが、夜神月のみである。
手錠を外し、厳重な監視下から解放したとはいえ、夜神月は今や捜査協力者として現場にいるのだ。
彼が傍にいる以上、夜神家の監視をする必要などない……

そう思いながら何気なくモニターに目線を移し、竜崎は愕然とした。

(夜神、月…!?)

モニターには、夜神家の自室で、夜神月が就寝している様が映し出されていた。
一本道なら後ろ歩きで前に進もう
――何がなんだか解からない。

気遣ってくれた総一郎に逆に別室での仮眠を促し、1人になった部屋で、竜崎は膝を抱えたいつものスタイルで考える。
混乱したまま質問をしても泥沼に嵌りそうな気がしたので、1人になりたかったのだ。
竜崎が倒れている間に月が自宅に戻ったため、その様子を隠しカメラで見ている、という安易な考えはすぐに捨てた。
月がキラかもしれないと名乗り出ただけであれだけ取り乱した総一郎が、殺人ノートに記されたルールにより潔白が証明された今、
監視カメラの設置を容認するはずがないからだ。
では、夜神家にカメラを仕込んで、監視をしているこの状況はなんだ?

状況把握のため、手近なところから確認することにした。
モニター前に積まれた資料の上にノートパソコンを置き、今までの捜査データを見返すのだ。
そして目を疑った。
何度見直しても、データは2004年1月8日までのものしかない。
すなわち、夜神家と北村家を隠しカメラで監視し始めた初日のデータまでしかないのだ。
このデータは捜査資料ではない。解決したのちに、事件を振り返るための、集積データである。
毎日データを更新していれば、2004年11月4日ないし5日までのデータがあるはず。
更新はワタリに一任してあったが、抜かりなく実施していたはずだ。
しかし、それがどこにもない。
火口や死神、殺人ノートの解析結果どころか、第2のキラのデータすらなかった。
だいたい、データはワタリが総て消したのではなかったのか?
画面に『All data daletion』と表示されたのを、確かに覚えている。
消したからデータがない、なんて考えられない。
一部のデータだけ削除するプログラムではなかったし、そんなミスをワタリがするはずがない。
大体、データサーバのタイムスタンプが、2004年1月9日となっている。
データが消えたというより、書き込まれていないと考えるべきだろう。

(まさか、今までの出来事はすべて夢だったのか……?)

否、そんな筈がない。
そっと心臓があると思しき胸に手のひらを当て、死を覚悟した際の痛みを思い出す。
こんなに克明に記憶にあることが、夢想などであるはずが絶対にない。
ではこの状況は一体なんだ?

人間は死ぬ直前、走馬灯のように過去を振り返るという。
死の苦痛や苦悩から逃れるために、脳内で現実乖離現象を起こすのだ。
だがとても今のこの状況がそうだは思えない。
胸に当てていた手を目前で開いたり閉じたりして、感触を確認する。
こんなに実感を伴いながら、自分の意思で自由に行動できるのだ、脳内現象による過去視であるはずがない。
ということは、間違いなく今のこの状況も、現実ということになる。

どちらも現実ということは、

(過去に、戻っている……)

信じられないことだが、そうとしか考えられなかった。
自分の身に起きたオカルティックな現実を、しかし竜崎は気が狂うこともなくすんなりと受け入れた。
慌てたところで、状況が変わるわけでもない。
殺人ノートや死神の存在を思えば、今さらタイムリープごとき、慌てる程のことではなかった。

混乱がひと段落すると、竜崎は急に口寂しさを覚えた。
我ながら呑気なものだと思ったが、空腹は生きている証だと思えば、ありがたく享受すべきだろう。
ノートパソコンを片付け、夜食に持ちこまれたスコーンにママレードを塗りたくり、大口で頬張る。
もさもさとした食感と甘酸っぱさが、口いっぱいに広がった。
この夜食は、総一郎と入れ違いでやってきたワタリが、数分前に持ってきてくれたものである。
過去に戻っているので、死んだと思われていたワタリも、当然生きていた。
平然と夜食を持ってきてくれてたところをみると、ワタリには竜崎のように今までの記憶があるわけではないようだ。
記憶が消えたのか、はたまた過去に戻っているのは己だけなのか、考えても答えは出ないと解かっているので、それに関する思考は止めた。
スコーンと共に持ち込まれたキャンブリックティーで喉を潤しながら、今後のことを考える。
視線は自然と、目の前に置かれたモニターに映し出されている、就寝中の月に向けられた。

(私と夜神月は、まだ面識がないということになるのか……)

せっかくあんなに親密になれたのに、非常に勿体ないことだ。
手を伸ばせば、すぐに触れられる距離にいたのに、今はまだモニター越しに見ていることしかできない。
またキラを追っていけば、月に近付けるだろうが…、と考えて竜崎は憮然とする。
キラを追い、月に近付いたことで、己が死に至ったことを思い出したからだ。

夜神月はキラだ。
竜崎が死ぬ直前、勝利を確信した笑みを浮かべていたのが何よりの証明となるだろう。
少なくとも、竜崎はそれで確信を得た。
だが、月と面識のない今の段階では、何の証拠にもならない情報である。
そんなことを云い出せば、捜査本部からとんでもない妄言だと罵倒されるのが関の山だろう。

今の竜崎であれば、夜神月がキラだという、明確な証拠を握るのは簡単だ。
有無も云わせず月を拘束し、身ぐるみを剥いだ上で、彼が出入りする場所を徹底的に家探しすればいい。
そうすれば、どこかから必ず『殺人ノート』が出てくる。
ノートに触れれば、死神も見えるようになるかもしれない。
殺人ノートと死神。
いずれかが確認できれば、さすがの月でも云い逃れはできまい。チェックメイトだ。

だが、その手段を選ぶことは絶対にない。
そんな非人道的なことを、総一郎が、いや日本捜査本部が許さないだろう
なにより、そんな方法でキラを捕まえたとしても、竜崎自身が納得できないからだ。
夜神月がキラだということを知っていながら、知らないフリをして追いつめ、捕まえるのが理想的な形だ。
己の死を避け、殺人ノートと死神という切り札を無視して、キラを追いつめる方法……

(そんなもの、あるはずがない。)

竜崎はほぼ初めから夜神月をキラだと想定して捜査を続けていた。
他に容疑者がいなかったのもあるが、Lとしての直感が夜神月から何かを感じとっていたからだ。
今さら月を監視したところで、証拠を見つけられるとはとうてい思えない。
捜査方法も、最善を尽くしてきたつもりだ。
何もかも知らないフリをして、月を追いつめる方法など、あるわけがなかった。

(私には、同じことを繰り返す以外に、選ぶ術がない……)

同じことを繰り返せば、竜崎に待ち受けているのは、死だけだ。
生きるためには、捜査を止めるか、月=キラを前提とした、強引な捜査をするしかないだろう。
捜査を止めても、強引な捜査をしても、竜崎が望む結果は得られない。
だいたい、夜神月と関わらない選択肢など、無意味だ。何の価値もない。
そんなつまらないことになるくらいなら、死んだ方が何千倍もマシである。

竜崎は知っている。
月と過ごした日々を。月と交わした感情を。月に触れた感触を。
死ぬ間際に味わった、甘美な悦びを、竜崎は明確に覚えているのだ。
その総てをなかったことになど、できるはずがない。
安穏と生き続けるより、もう一度あの楽しい時間を味わいたいと思うのはおかしいことではないだろう。
とはいえ、やはり死ぬのは怖い。
怖いが、竜崎が選べる道は、選びたい道はそれしかなかった。

再び月に殺されるまで、同じ手段でキラ捜査を続けるしかないのだ。
己の死という、敗北への道を歩むしか――…

(――夜神 月……)

命を落とし、月に敗北してもなお、竜崎は彼を怨む気持ちが微塵もないことに気付いていた。
死ぬ間際、竜崎が感じていたのは、得も云われぬ満足感と純粋な歓喜だった。

(再びあの瞬間を感じられるというのであれば、私はそれを望む……)

夜神月への慕情を、伝えることは叶わなかった。
彼への感情を認めることができずに、己の中に閉じ込めてしまったからだ。
今まで感じたことのないこの想いを認めれば、Lとしての立場を見失い、敗北から逃れられないという恐怖があったのだ。

だが今度は、勝敗を気にすることはない。敗北が決しているからだ。
ならば素直に認めよう。そして、伝えるのだ。

(夜神 月……。私は、貴方を――…)

さあこれから、楽しい時間の始まりだ。
未来にある死と歓喜を想い、竜崎は不敵な笑みを浮かべ、身震いした。
そして変態竜崎誕生へ……
やたらスキンシップの多い名探偵に、流される月。
出会った瞬間に、
「私はLです。――そして好きです。愛してます。私と恋をしましょう。」
とか云ってほしい。

...20160911
×おしまい