喉がカラカラに渇いている。
血だ。
血が欲しいのだ。
でも…
「めんどくさいですね…。その辺に手ごろな美女、いませんかね~?」
その吸血鬼は、大変面倒くさがりであった。
吸血鬼は一面の薔薇の香に咽て窒息
「ワタリ。」
「何でございましょう、竜崎。」
「適当に美味しい血を持つ美女をさが」
「嫌でございます。」
「…………」
「…………」
「お前は、お腹が空かないのか?」
「私は既に食事を済ませております。」
「…………」
「…………」
「使えない奴め…」
「使えない主に仕えておりますもので。」
「…………」
「…………」
埒があかない。
(そしてなんか切ない…)
竜崎は吸血鬼である。
しかし、彼は根っからの引き篭もりで、極限までお腹が空かない限り人間の血を摂取しようとしない。
そのためいつも顔色は悪く、目の下には陰気な隈がくっきりとできていた。
使えないと思うなら仕えるなよと心の中で悪態を吐き(云ったら本当に出て行きそうで怖い、てか困る)、竜崎は重い腰を上げた。
久々の狩りに出掛けるとしようか。
ふらふらと宙を漂いながら、本能のまま竜崎は食料(生き血)を探す。
当然のように、ワタリは付いてきていない。
(薄情者め…)
竜崎の教育係でもあるワタリは、『自分の分は自分で』という教育方針なのである。
「この間の金髪はまあまあでしたね。チョコばかり食べてるせいか、ほんのり甘くて。
その前の銀髪クセ毛は、運動不足なのか、ちょっとねちっこかったな…」
でも味はすっきりしてて喉越し爽やかでした…などと、昔の食料たちを思い出して、気を紛らわせながら恋しい生き血を探す。
贅沢を云わなければ、先ほどからちらちらとまあまあの獲物たちとすれ違っているのだが、竜崎は見向きもしない。
美食家なのだ。
「ん?」
お腹空いたです、やだなやだな、このままじゃ死んじゃうよ~、と唸っていた竜崎が顔を上げた。
丸い小作りの鼻をぴくぴくとさせて、本能のままに振り返る。
「じゃあ、また明日ね~!」
「バイバ~イ!」
そこには、14,5歳くらいの少女が、一緒に下校していた友達とちょうど別れたところであった。
黒い髪が腰ほどまで伸び、サラサラと歩くたびに揺れている。
白い、キメの細かい肌が輝いているように見えた。
「……ま、あれでいいか。」
本人が聞いたら「何をこんにゃろー!」と怒りそうなセリフを吐き、竜崎はその少女に気配なく近付いた。
少女の髪からは、ふわふわとシャンプーのいい香りが漂っている。
しかし今の竜崎には、血のことしか頭にない。
「それでは、いただきまーす。」
くわっと口をかっぴらき、少女の首元に噛み付こうとした、その時だった。
ぞわぞわぞわっ!!
背筋に悪寒が走った。
全身に鳥肌がたつ。
身体に残っているわずかばかりの自分の血が、どくどくと高速道路を走る車のように、スピードを上げて駆け巡った。
なんだ?
いきなり何が起きたんだ…?
云い知れぬ不安を抱きつつ、身体の異常事態をどうにか納めようと、竜崎はひたすら自分を落ち着かせることに専念した。
一方、運良く竜崎から逃れた少女は、竜崎などお構いなしにすたすたと家路を辿る。
と、その足が止まった。
「あ、お兄ちゃんだ。――お兄ちゃーん!」
少女が、とある人物に向かって手を振りながら駆け出した。
声を掛けられた者は、ゆっくりと振り返り、そして花が開くように微笑んだ。
「粧裕。今帰りか?おかえり。」
「うん、ただいま。お兄ちゃんはこれから塾?」
「ああ。受験生はつらいよ。」
「学年トップがよく云う~!」
どうやら少女の兄のようである。
血液が炭酸になってしまったかのように、全身ぞわぞわとする身体を叱咤して、竜崎はその兄とやらを振り向いた。
見て、そして、全てを悟る。
「ななな、なんという、極上の香りっ…!!」
全身が弛緩するほどの、芳醇な血の匂い。
距離が5メートル弱ほどあるにも関わらず、体中に絡みつくように感じる芳香。
自分の身体の異常は、その血の匂いによるものであると、竜崎は確信した。
今まで出会ったことのない程の極上の血の匂いに、吸血鬼である竜崎の本能が超反応したのだ。
気付けば、全身汗びっしょりであった。
渇いた喉を湿らすように、ゴクリとならす。
「じゃあね、お兄ちゃん。お勉強頑張ってね~!」
「ああ。粧裕も気を付けて帰れよ。」
「すぐそこだからダイジョーブ!」
しばらく立ち話をしていた少女と兄であったが、再び違う道に分かれていった。
異常の原因が判明して少し落ち着いた竜崎は、少女には見向きもせずに、兄の方を追いかけた。
ぞくぞく、ぞわぞわ…身体が震える。
目が冴えてくる。
在り得ないほど自分が興奮しているのが解かる。
もういいだろう、という所まで追いかけて、周囲の気配を探ってから、竜崎はそっと獲物に近付いた。
落ち着いても尚、微かに震える身体をどうにか宥めすかし、竜崎は彼の首元に迫った。
そして。
くわっ、がぷりっ!
「いたっ!」
兄――月は、突如首筋に走った痛みに悲鳴をあげた。
静電気か?と痛んだ首に手を持っていこうと…して、ぐらぁりと視界が揺れてその場に座り込んだ。
急激に力が抜けていく。
何だ、どうしたんだ急に…、と思ううちに、月は意識を失った。
はっ!と気付いた時には遅かった。
久々の食事、ということもあったが、あまりに甘美な血の味に、竜崎は夢中になって吸いに吸いまくってしまっていた。
相手が貧血を起こすほどに。
倒れこんでしまった月を前に、竜崎は呆然とした。
人通りの少ない路地ではあるが、悪い人間に見つかったら酷い目に遭ってしまうだろう。
…という心配もしたのだが、頭の中はそれ以上に、先ほど味わった血の味でいっぱいであった。
今まで味わったことがない、甘美でとろける口当たり。
半生タマゴの黄身がとろんと舌に絡みつく感覚に似ているのだが、食べたことのない竜崎には例えようもなかった。
この、体中に満ち満ちてくるエネルギーは何だ。
十分に吸って、吸い過ぎたというのに、ともすれば再び先ほど噛み付いた傷口に、もう一度噛み付きたい衝動に駆られるほどの誘惑。
興奮は治まるどころか、ますます酷くなっていた。
しかし、これ以上この血を吸ってはいけない。
これ以上吸えば、確実にこの相手は死に至る。
そうなれば、二度とこの血は味わえないことになってしまう。
荒ぶる本能を、どうにか理性で押さえつけ、竜崎は大きく息を吸い込んでは盛大に吐き出す行為を、何度も繰り返した。
ぎゅっと目を瞑り、衝動と戦う。
「うっ…」
「おや?」
そうこうしている間に、月が意識を取り戻した。
どうやら気絶していたのは数瞬の間だけだったようで、しばらく逡巡した後、クラクラと覚束無い足で壁に凭れながら立ち上がった。
激しい運動をした後のように、息が荒い。
気分が悪いのか、胸に片手を当て、空いた方の手では、薄っすらと浮かんだ涙を袖で頭を押さえ込むようにして拭った。
一足先に、竜崎が落ち着きを取り戻した。
自分のせいで苦しんでいる相手を、気を抜かないように(興奮してしまうから)気を付けながら、見守った。
そして、頃合を見計らって声を掛ける。
「大丈夫、ですか?」
「…え?」
竜崎の言葉に、月がびくりと顔を上げた。
吸血鬼は妖怪である。
人間に見咎められないように、姿を消すことができる。
しかしそれでは会話もできないので、竜崎は自らの姿を現した。
という背景があるのだが、月にしてみれば、何もない所から不意に声を掛けられたようにしか思えなかった。
当然驚き、警戒気味に気配を窺う。
「だ、誰だ…?」
力ない声で、竜崎の姿を探す。
探して、探して、ふわふわと漂う気配にふと視線を上に向け、月は固まった。
何か浮いている。
その何かは竜崎で、真っ向から2人の視線はぶつかった。
「なっ、なっ、なっ…」
「初めまして。私は竜崎といいます。」
「うわぁぁ―――っ!」
第一声がそれか?という視線をたっぷりと乗せ、竜崎は月を見つめた。
対する月は、夢か幻としか思えない”それ”が口をきいたので、思わず凭れていた壁にずりっとへばり付いた。
いつものクセで、空中に浮いていた竜崎は、月のオーバーリアクションに首を傾げた。
しかしすぐにそのことに気付いて、竜崎は慣れない地面へと裸足の足で下りたった。
「驚かしてしまい、すみません。」
「……お、お前、は…?」
「だから、竜崎です。」
「な、名前を聞いているわけじゃない。」
「じゃあ、何を訊きたいんですか?」
理詰めに質問をされたことで、段々と月は状況を把握し、落ち着きを取り戻し始めた。
話せば返事が返ってくる。
言葉は通じる。
でも、空飛んでた。
すなわち、ただの人間ではない。
「幽霊、か?」
「いえ。正確には、人間が云うところの幽霊ではありません。」
「じゃあ…」
「妖怪、といえば解かりますか?私、吸血鬼なんです。」
なんてことを云われて、月が一番初めに思ったことは
「頭おかしいのか?」
思うだけでなく、口に出していた。
月は真っ直ぐな父に似て、正直者であった。
「失礼な方ですね。まあ、今回は私に非があるので咎めないことにしておきましょう。
ところで、貴方に折り入ってお願いがあるのですが…」
「ちょっと待て。」
「何ですか?」
「”非がある”ってどういうことだ?まさか、さっきの貧血と何か関係が…?」
「察しがいいですね。そうです。それ、私のせいでした。そんなことより、」
「そんなことより、じゃないだろう!僕に一体、何をした!?」
「だから、私は吸血鬼なんです。知りません?吸血鬼っていうのは、」
「僕の血を吸ったのかっ!?」
「そのとおり。」
そのとおり、とか云ってんじゃねー!てめー、何してくれんだこんにゃろー!、と思った月。
いっぱい吸っちゃったと思いましたが、案外元気ですね。というより、話は最後まで聞いて欲しいです、と思った竜崎。
なんか、こいつムカつくな。と2人は同じ結論に至った。
「返せ、と云われても無理なので諦めてくださいね。ごちそうさまでした。」
「返せ、と云いたいところだが、お前の体内に一度入ったモノを戻してほしくはないな。でもなんか納得いかない。」
「それで、お願いというのはですね。私、貴方の事は気に入らないのですが、貴方の血は殊のほか気に入りまして。」
「こっちだってお前なんか気に入らないよ。よって、お前の願いなんて却下だ。」
「しばらく一緒に暮らして、私に血を提供してください。」
「ヒトの話聞けよ、お前!そんでもって、ふざけんなーっ!!」
噛み合っているんだか噛み合っていないんだかの会話の後、2人は睨み合った。
「いいじゃないですか、別に!減っても増えるもんですし!」
「いいわけないだろうが!増えるとしても不必要に減らす理由がない!」
「奇麗な顔して不親切なヒトですね!!人間と妖怪は、昔から助け合って共存してきたんですよ!?」
「知るかそんなもん!!だいたい、妖怪が人間に何をしてくれてるっていうんだ?!」
「これだから最近の子どもは可愛くないんですよ!!!」
「お前に可愛いなんて思われたくないね!!!」
「まったく、さっき妹と対応していた時とはえらい変わりようですね、貴方はっ!」
「え?粧裕…?」
そこで、月の勢いがぴたりと止まった。
「お前、何故妹のことを知っている?」
「何故か、ですって?クスクス、教えて欲しいですか?」
「くっ…」
意地の悪い竜崎の笑みに、負けず嫌いの月は対抗意識に燃える。
しかしことが可愛い妹のことなので、下手に反撃できない。
一方竜崎は、突然おとなしくなった月の反応に、全てではないが大体の様相が解かってきた。
ある策略を思いつく。
「その妹さんのことですが。」
「さ、粧裕が何だ…?」
「…なかなか可愛らしい方でしたね。そういえば、私の獲物は初め、彼女だったことを思い出しました。」
「き、貴様ぁっ!」
がつっと竜崎の胸倉を掴み、月は怒りのまま拳をお見舞いしようとした。
しかしそんな行動はお見通しだった竜崎は、ぱしっと手のひらでその拳を受け止める。
「フフフ。私のお願いを訊いてくれないのでしたら、貴方の妹を私の餌にしてもいいんですよ?」
「なっ…?!」
卑怯なっ!
目を剥いた月は、もう一度竜崎を殴ろうとした、が、竜崎の余裕の笑みを見て、力を抜いた。
「解かった…。粧裕には代えられない。僕がその、お前の、餌?になる…」
「本当ですか?ありがとうございます。」
くそっ!こんな屈辱初めてだ!!
嬉しそうにニコニコ笑う竜崎に、月は殺意を覚えた。
「ただし、条件がある!」
「何ですか?」
「一緒に暮らすのはナシだ。お前と粧裕を、同じ空間に置くことなんてできない。」
「……いいでしょう。では、貴方が私のウチヘいらしてください。」
「ふざけるな、という理由で断りたいが、実質問題、急に家を出ることは不可能だ。僕はまだ高校生なんだぞ?」
「貴方、受験生でしょう?大学に入学してからで構いませんよ。あと数十日くらいですし、待ちます。」
「なるほど。友人とシェアするといえば、理由にならなくはないな。」
なかなかに寛容な答えだが、相手の理不尽な脅しによる条件であることに気付き、緩みそうになった顔を引き締める。
だいたい、未だ殴りかかった自分を警戒しているのか、手を離して貰えていない。
そのため、距離が近い。
「不自由はさせません。血だって、本来なら貧血を起こすほどいただきませんし、安心してください。」
「信用できるか。」
なんとなく、プロポーズを受けているみたいで変な気分になる。
変な気分といっても、ドキドキするといったトキメキあるものではなく、ただ単に居心地が悪いという気分だ。
「血を提供して頂く代わりに、私が責任もって、貴方の生活を保護いたしましょう。」
大丈夫、ウチはお金持ちです。ワタリもいますし、快適に過ごせます。という頼もしい言葉が続く。
ちなみに家はどこ?と訊くと、志望大学に程近い、高級住宅地であった。
血を吸われるのは不気味だが、案外イイ話かもしれない。
少しずつ月の心は揺り動かされ始めた。
「…ねえ。」
「はい?」
「さっき竜崎は宙に浮いてたけど、僕も一緒に飛ぶことはできるの?」
「? ご希望とあらば、できますよ。やってみます?」
「ほ、ホント?」
「お安い御用です。」
それが決定打となった。
「解かった。僕はお前に血を提供する。代わりに、お前は僕の生活を保障しろ。」
「商談成立、ですね。」
「ああ。よろしくな、竜崎?」
「はい。えっと…」
「月だ。夜神月。月と書いてライトと読む。」
「良いお名前ですね。こちらこそ、よろしくお願いします、月くん。」
握られていた拳をようやく離してもらい、2人は握手を交わした。
なんだか突然変なことになったと、可笑しくて月は笑った。
その笑顔は、とても綺麗で。
また竜崎は、己の血がざわめくのを感じた。
しかし、せっかくOKの返事を貰えたのに、血を吸いたいなどと無粋なことは云えず。
「うわぁっ!」
「…約束の印に。」
ちゅっ、と繋いだ手の甲へ唇を押し付け、胸いっぱいに吸い込んだ甘い芳香だけで、どうにか我慢しようとした。
が、結果は更に興奮を呼び起こすだけで、ぞわぞわする身体に、自分はこのまま死んでしまうのではないかというほど眩暈を感じた。
一緒に暮らしていくうちに、恋に変わればいいと思います。
興奮に耐え切れず、ぱくっと、さ。襲っちゃうよね。竜崎なら。
神様シリーズと被りそうな内容なので、続きません。
(ネタが思いつけば書くかも。って云っておいて、大抵書いたためしがない)
ご希望があれば…、そのうち。
...20060427
×おしまい