昔、同じ孤児院で育った奴と、偶然職場で再会した。
「ニア、か?」
「……誰でしたっけ?」
「云ってくれるぜ。」
「?」
「お前もそんなユーモア云えるやつになったとはな!」
親しげに肩をばしばし叩きながら笑ってやると、ニアは何が何やら解からないという顔。
おいおい、そのうえ演技力まで身につけたのかよ!
月日は人を変えるって本当だな!なんて笑っていると、首をひねっていたニアが俺の顔をマジマジと見ながら云った。
「貴方、誰ですか?」
「……は?」
私の名前を知っているということは知り合いのようですが…と、じっとヒトの顔を眺めながらニアは首をひねった。
そのままひねり潰してやろうかと思った。
赤糸を手繰れば前世の君が付いてきた
何もできなさそうで、何でもできる…と見せかけて、やっぱりできない。
ニアとはそんな奴だ。
きっと、やろうとすれば何でもできるのかもしれないが、ニアの辞書に”努力”という文字はなかった。
できないことはやらない。(自分が動かず、他人を使うことに長けていたので問題なし)
ニアは諦めが早かった。
「そんなお前が、一人暮らしとはなぁ。」
大人になったもんだと、感心した。
久々の再会で失礼かましたアイツを、頬っぺたひっ抓るだけで我慢した俺も大人になった。
「――なってませんよ。常識ある大人なら、あの場合、丁寧に自己紹介するものです。」
「忘れてた奴が偉そうなこと云うんじゃねーよ!」
はぁとわざとらしいため息を吐くニアに、俺は読んでいた雑誌を丸めてぽこりと相変わらずのもじゃもじゃ頭にきめた。
本気で怒っているわけではないので、軽く。
俺の顔は、さっきからずっと勝手に笑いっぱなしだ。
ニアと再会したその日、仕事上がりに俺たちは飲んだ。
その流れで、今日はお互い重なった休日に、俺がニアの家に遊びに来たのだった。
「結構キレイに片付いてんじゃねーか。」
「引っ越してきてからまだ3ヶ月くらいですからね。」
「ふーん。」
刑事をしている俺の職場で、ニアの顔を見つけたときは目を疑った。
失礼な話だが、ニアが就職するというイメージがなかったのだ。
だが、職種を聞いて納得した。
「しっかし、お前が医者とはなぁ。」
「検死医です。」
「研究とかしてそう。」
「しますよ、そりゃ。」
この国は事件が多いですからね、だってさ。
一応、市民の平和を守るのが刑事である俺の第一使命なんですがね。
軽く嫌味を云われたようだが、俺の上機嫌はやっぱり変わらなかった。
「他の奴がどーしてっかとか、知ってる?」
「リンダが画家になりましたよ。」
「あー!俺も知ってる。今度こっちでも個展やるらしいぜ。今日みたいに休みが合ったら行ってみようぜ。」
「あとは、―――」
淹れてもらったコーヒーを受け取って(こいつがコーヒーを淹れられるようになるとは!)、ふむふむと話に耳を傾ける。
孤児院のあったイギリスに長く居ただけあって、ニアの方が俺よりもみんなの情報を知っていた。
俺から教えることはほとんどない。
…いや、あったな。
15で孤児院を出てから今まで、一度も連絡をしなかった俺のことは、さすがのニアも知らないだろう。(忘れてたくらいだし)
案の定、一通りみんなの様子を聞かせてくれたニアは、貴方はどうしてたんですか?と訊いた。
今度は俺が喋る番で、ニアは大人しく紅茶を飲んでそれを聞いていた。
相変わらずコーヒーは飲めないようだ。
なんでも、胃が弱いかなんかで、コーヒーを飲むと腹を壊すんだそうだ。
今でも変わってないその様子が、なんだか嬉しかった。
「あれ?普通に飲んでたけど、もしかして、このコーヒーわざわざ買ってきたのか?」
「貰い物があったんですよ。」
自分のことを話し終え、渇いた舌を湿らすように飲んだコーヒーにはそんな経緯があったらしい。
「じゃあ、それ終わるまで俺が来てやるよ。俺が消費してやる。」
「終わったらもう来ないんですか?」
「終わったら今度は買っとけ。」
「親切なんだか迷惑なんだか…」
やれやれとため息を吐くニア。
なんだか少しだけズキンとくる。
「……俺が来るの、迷惑か?」
気付いたら、そんなことを訊いていた。
云ってしまった後に後悔するが、一度出た言葉が戻ってくるわけではない。
ニアがそんなつもりで云った言葉じゃないことくらい、解かっているのに。
「――ごめ」
「迷惑と云うより、」
謝って笑って誤魔化そうとした俺の言葉に、ニアの言葉がかぶった。
「あれはどういうつもりだったのか、と。それが解からないので、私は貴方の対応に困っているんですよ。」
「……は?」
あれ?って、何だ?
ふいに訳の解からないことを云われて、隣りに座るニアの顔をじっと見つめた。
ニアは俺の視線をものともせず、「やっぱり忘れてるんですね」と紅茶を一口飲んだ。
「貴方のことを忘れていた私が云うのもなんですが、忘れるなんて失礼ですよ。」
「は?ってか、俺、お前に何かした、のか?」
「はい。」
俺、なに、した、んだ?
え?え?という顔で困惑していると、本日3度目となるため息を吐いたニアは、話を続けた。
「貴方と再会した日、飲んだ余韻もあり貴方の事を思い出していたんです。」
「お前、飲んでる間に思い出してなかったのか?」
「実はまったく。」
すらりとニアは肯定した。
あれだけ思い出話をしといて、思い出してなかったっなんて、なんて奴だ!
ムカっときて睨みつけると、ニアは怯むことなく見返してきた。
「今はちゃんと思い出しています。でなきゃ、部屋になんか上げませんよ。」
ニアという男は、自分の領域に踏み入れていい人間を選ぶ。
自己防衛の強いやつだ。
まあ、人見知りともいうが。
家に行っていいかと訊いた時、いいですよと気軽に返してくれたことに喜んだのはつい数日前だ。
それはニアのそういう性格を知っていたからだった。
「思い出しついでに、貴方が出て行った日のことも思い出しました。」
「俺が出て行った日?」
「ええ。」
「俺、出て行く前にお前に何かしたか?」
「……本当に覚えていないんですか?思い出せも?」
「ああ。全然!」
「…………」
きっぱりと肯定。
だって、本当に覚えていない。
むしろ、こいつと別れ際に会ったことさえ思い出せない。
真っ向から視線を合わせていたニアが眉間に皺を寄せ、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「じゃあ、もういいです。」
「は?何それ、気になるじゃん。」
「気にしていればいいでしょう?」
「むかっ!」
こういう場合、”丁寧に教えてくれるのが大人”じゃなかったのか?
お前だってガキじゃん!
「教えろよ!」
「知りません。」
手を伸ばし、わしゃわしゃとニアの頭をかき混ぜてやる。
さすがにニアもそれには参ったのか、片手で乱暴に俺の手を払いのけた。
それでも俺は尚も食い下がり、今度は出会い頭にもしてやったように、両方の頬っぺたを両サイドにひっ抓ってやった。
「……いい加減にしてください!」
「おわっ…」
両頬を掴んでいた俺の手を掴み、押し返すように体重をかけてきた。
まさかそんな反撃があるとは思っていなかった俺は、重みに耐え切れず、重力に従って後ろに倒れた。
天井を背景にしたニアの顔が、俺を見下ろしている。
「な、なにす、んだよ…」
力ない抗議が出るが、赤面した顔では効力は望めないだろう。
距離が近すぎて、ドクドクと煩い心臓の音が聞かれてしまいそうだ。
「重い。どけ、よ…」
平然としているニアの態度が、羞恥だけだった心に悔しさをプラスされて、少しだけ冷静になれた。
力で負けたことはなかったので、押し返せるだろうと腹筋と腕に力を込める。
が、起き上がる前に近付いてきたニアの顔。
それと、唇に触れた柔らかい感触に、全身の動きが止まった。
「…こういうこと、してきたんですよ。貴方は、あの時、私に。」
「……へ?」
「忘れたんですか?」
嫌味なほどにっこりと、ニアが笑った。
そういえば、今日初めてこいつの笑顔を見たな、とのん気なことを考える。
いや、そうじゃなかった!
今、キキキ、キスされた、ぞ!おいっ!
で、それを俺がお前にした、だとぉ?!
「マジか!?」
「こっちが訊きたいくらいです。”マジ”で忘れてるんですか?」
マジで忘れてんですか、俺?!
あんぐり口をあけたまま、何も云い返せない。
重い…、沈黙が重い。
押し倒された格好のまま見つめ合い、それでも俺はニアを見ていなかった。
見ていた、が、見えていない。
頭が真っ白だ。
そら、忘れてたら失礼だな。
そうだ、何か云わねば。
何を云おう?
謝る?(思い出せないのに)
キスしたことを?(思い出せないのに)
忘れていたことを?(思い出せないのに)
いや、この際何でもいいから、何か云え!
沈黙が重すぎて、死にそうだった。
「に、ニア…ぁふっ!!」
「もういいです。忘れてなさい、一生。」
「~~!~~っ!!」
手近にあったクッションを顔に押し付けられた。
おかげで息ができないやら何も云えないやら痛いやら……つーか、死ぬ!
死に物狂いでクッションを押しのけ、金魚のようにパクパクと口を開いて酸素を貪った。
その時、酸素の行き届いていなかった頭ん中で、何かがちかっと瞬いたような気がした。
「……あ、あぁーーっ!!」
「…ヒトのウチで叫ばないで下さい。ご近所から苦情がきます。」
「いや、思い出した!」
「思い、…出した?」
そう、思い出した。
窒息しかけて思い出した。
んでもって、瞬時に赤面した。
うわ、うわぁー!
何で忘れてたんだ、俺?!
俺、こいつのこと好きだったんじゃん!!
「そんで、最後だからって、キスしてやったんだ……」
キスして、やっぱり恥ずかしくなって逃げ込んだ部屋で布団を被りうめいていたら、今みたいに窒息しかけたんだった。
なんということだ!
そんな恥ずかしい過去を持ちながら、久々の再会でなに平然とその相手のウチに遊びに来てんだ俺は!
「恥ずかしい!」
「ええ、そうですね。」
「うわ!口に出してた!」
「……莫迦ですか?」
頭が混乱している。
どーすればいい?どーすればいい?!
ってか何で忘れるかな、俺!?
混乱している俺をじっと観察していたニアが、ふと何かを思い付いたように、手のひらに拳をぽんと当てた。(なんてベタな!)
「ひょっとしたら、自己防衛本能が働いたのかもしれませんね。」
「へ?」
「人間は、持ち抱えることができないほどショックを受けた記憶を、無意識下で抹消することがあるんです。
そういった場合、同じ状況になったり、催眠をかけてやることで、消えた記憶が戻ったりします。
犯人に襲われた被害者によく起こる事例です。」
さすが医者(検死医)だけあるお言葉。
説得力がある。
つまりは、別れ際にキスしたことが恥ずかしすぎて莫迦過ぎて耐え切れず、俺の自己防衛本能が記憶を消したってことか?
「そーいえば、のた打ち回った後、がんがん頭打ったな…。耐え切れずに…」
「それが、いやそれも原因かもしれませんね。」
「人間ってすげーな!」
「…そうですね。」
あははあはは…!と不自然な笑い声を上げる。
だって、そうでもしないと恥ずかしくていられない。
思い出したら、思い出してしまったのだ。
――ああ俺、こいつのこと好きなんだ、と。
都合よく忘れていたから、決着がついていなくて始末に置けない。
さっきまで平気だったのに、急にどぎまぎしてきたぞ!
と、一人でてんてこ舞いになっていると、ニアは本日何度目かになるか解からないため息を、重々しく吐き出した。
ニアの動きひとつひとつに敏感になってしまい、俺は肩が揺れるほどびくついた。
「忘れるのも無理はありませんね。
――だって貴方、私のこと大嫌いでしたからね。」
「………はっ?」
何を云われるのかとぎゅっと目を瞑り覚悟をしていたら、そんなことを云われて、ぎょっと目を見開いた。
「記憶を消したいほど、私が嫌いだったのでしょう。
何かと云っては因縁をつけ、視線を感じると見てみればいつも睨みつけていましたよね。」
「…………」
「ケンカをよく、ロジャーに仲裁されたのを覚えてますか?
相手にしなければいいとは思いつつ、挑発に乗ってしまい…。あの頃は私も子どもでした。」
淡々と昔話を続けるニア。
俺は、誤解だ!と声を大にして叫びたかったが、じゃあ何て弁解すればいいのか解からず、口を開いたり閉じたりだ。
因縁をつけていたわけではなく、話すきっかけを探していたのであり、睨みつけていたのではなく、気付けば目で追っていただけだ。
そりゃ、多少乱暴な言葉を使ったかもしれないが、俺の性格上、仕方なかったのだ。
いわゆる、照れ隠しというもので。
好きな子ほどいじめてしまうと、よく云うではないか。
ガキの頃の俺は、典型的な思春期の子どもだった。
俺もいい大人だから、今ではもうそんなことはないが…いや、ないと思いたいが。
「あの、さ。」
「何ですか?」
どうにか誤解だけは解こうと話し掛けると、ニアはどこか冷たい反応。
傷付けて、しまっただろうか…?
そりゃ傷付くか。
嫌われて喜ぶやつなんて、いるわけがない。(いや、世の中物好きはいるから一概にそうとはいえないかもしれないが)
「俺は、別にお前が嫌いだったわけじゃなかったぜ?」
「いいですよ、気を遣わなくても。過去のことなんですから、私だっていちいち気にしませんよ。」
「嘘じゃない!俺は…!」
お前が、好きだったんだ!と云ってしまえれば万事解決するかもしれないが、言葉は続かなかった。
自己防衛(忘却)という逃げの一手を辿った俺には、時間という心の準備期間を経ていない。
いわば、机の引出しの奥に入り込んでしまった宝物が、ふいに掃除かなんかで出てきたようなもので。
何年経っていても、それはいつでも大切な宝物だから、その時の気持ちが一挙に甦ってくる。
やっぱり少し、躊躇してしまうのは仕方のないことなのだ。
でも、”思い出”になっていない過去が、現在進行形で今、動き出した。
ならば俺も、動かなければならないだろう。
自分はもう、あの頃のままの”ガキ”ではないのだ。
「――俺は、お前が好きなんだ!」
変な意地なんて張る必要はない。
好きなら好きと、伝えればいい。
誤解される方がマシだと思うような子供時代は終わったのだ。
「好きだからキスした。当たり前だろ?嫌いなら、そんなことはしない!」
「……好き?」
「そうだ。」
まだ何か云おうとしたニアの口をキスで塞ぐ。
「好きなんだからな!」
もう一度、念を押すように告げ、にっかりと笑った。
面食らったように、ニアが目を見開いた。
そうだ、こんな顔が見たくていつも驚かしたりしてた。
やっぱり好きだ。
俺はコイツが好きだ。
「今日は帰るよ。またくっから、コーヒー用意しとけよ?あと、」
「板チョコ…でしょう?」
「ハハ…、解かってんじゃん!」
俺たちはもう子どもではない。
幸い、職場も一緒だ。
時間はまだまだあった。
過去が動き出すのは、これから…
ニアがメロを忘れていたのは、ニアがそういう人間だからです。(他人にも自分にもさして興味なし)
でも、メロ(他人)が自分を嫌いかどうか、気遣うくらいの細やかさは身に付けた模様。
メロはLという目標さえなければ、素直にすくすく育つと思うのですよ。
月みたいにさ、警察官になって、…なったら大暴れしそうだね…。
んで、ニアには白衣を着て欲しいな、と。
(
白衣って、魔法のグッズだと思うの!大好き!)
...20060519
×おしまい
『刑事さんと検視医さん』シリーズ↓(書いた順)