甘い…、甘い匂いがする……
ぎぃーっとベッドを軋ませながら、男は目覚めた。
久々の目覚めは、計算し尽くされたように、満月の夜だった。
前に起きた時は、闇夜だったか?
しかしそれも、数日前などではなく、何年、もしかしたら何十年も前のことかもしれない。
骸となり土底から這い出して君を喰らおう
朝や昼に目覚めることはない。
久々に機能した視力には、太陽の光は眩しすぎるからだ。
眠りながらも夜の気配を感じることなど、彼にとっては容易いことであった。
「おはようございます。」
「…………ああ、おはよう。ワタリ。まだちゃんと、生きていたのか。」
「おかげさまで。」
なかなか返ってこなかった返事に焦れることも、失礼な言葉に激怒することもなく、ワタリと呼ばれた老人はにっこりと笑った。
相変わらず変わらないその笑顔に、しかし男はにこりともしないでぼりぼりとザンバラの髪を掻いた。
「ここ数日か数年か、数十年か…の間に、何か変わったことはあったか?」
「まだ以前より2年しか経っておりませんよ。
ええ。お隣りに、夜神さまという一家が越されてきました。」
「夜神?」
なるほど、それでか。
何故、まだ2年しか経っていないのに自分が目覚めたのか(眠るたびに違うが、平均して10年以上眠る)を、男は合点した。
『夜神』
あまり知られていないが(おそらく当事者でさえ知らない者が多いだろう)、名に『神』を許された血筋は、昔神事と関わっていた。
永きに渡って交配を繰り返すうちに、その血は薄れてしまったが、まったく消えてしまうこともなかった。
男は、それを感じとったのだ。
どんなに薄れてしまっていても、男はその”気配”を敏感に感じ取ることができた。
何故なら男は、まったく混じることのない純粋なるそれが、その身の内に流れているからだ。
人類(主に金持ちが多い)の念願、不老長寿とはよく云うが、男はまさにそれだった。
だからといって、本人はあまり喜ばしいとは思っていなかったが。
「珍しい…。随分濃い一家だな。」
「そうなのですか?それは、珍しいですね。」
夜神家の血の”気配”は、一般的(といっていいものかは不明)より、だいぶ濃く感じた。
それ故に、目覚めたのかもしれない。
普段ならば、眠っているうちに近付かれても、意識の根底の根底で薄っすらと察知するくらいで、目覚めるまでには至らない。
目覚めるほどの”気配”の強さは、人間と多く交わるようになった今の時代、本当に珍しかった。
「そういえば、甘い匂いがした。」
「ああ、そういえば。今日は一番上のお坊ちゃまが、5歳の誕生日を迎えたそうです。」
「?」
「現代では、誕生日にケーキを食べる風習があるのですよ。」
昼間、引越し挨拶をする母親に付いて来た小さな男の子を思い出しながら、ワタリはまたにこやかに笑った。
嬉しそうに「僕、5歳になったの!」と宣言していた姿を思い出したのだ。
ワタリの笑顔を不思議に思うことなく(いつものことなのだ)、男は口元をにやりと吊り上げた。
「ほう。それはまた、良い時代になったものだ。」
「貴方はことのほか、甘いものがお好きですからね。」
男の笑顔は、時代が嬉しい方向へ流れたことによるものだったようだ。
しかし、何かに思い当たり、男は口をへの字に曲げた。
「私の誕生日は、いつだ?」
「…申し訳ありませんが、私では解かりかねます。」
男は、見た目では20代、もしかしたら10代と答える人もいるかもしれないほど若い。
が、ワタリよりも遥かに長い年月を生きていた。
(といっても、ワタリも普通の人間と比べ物にならないくらいの長寿だ)
だから、ワタリが男の誕生日を知るはずもないのだった。
「まあ、いい。誕生日でなくとも、ケーキは食べられるからな。」
「左様ですね。さっそく、ご用意致します。」
「頼む。」
自然な振る舞いで、奇麗なお辞儀をすると、ワタリは部屋から出て行った。
夜中にケーキ屋は営業していないので、おそらくこれからワタリ自身が作るのだろう。
コンビニという何でも売っている24時間営業の便利なお店が、現代ではあることを、男は知らなかった。
知っていたとしても、ワタリがそれを利用して、男にケーキを振舞うようなことをしないと安易に予想できたので、
どのみち同じ推理をしただろうが。
「誕生日、か…」
生まれた日を祝うようになったのは、この国ではいつからだったか…
ついこの間まで、正月に誰もが一斉に歳をとっていたと思っていたが。
しばらく掛かるであろうから、つらつらとそんなことを思い浮かべる。
「暇つぶしに、隣りの様子でも窺ってみるか…」
どうせ、関わることなく、また自分は眠りについてしまうだろうが。
男は眠るためではなく目を瞑った。
血の成せる業で、男は容易に見たい景色を見ることができるのだ。
瞼の裏に映りだした一家の、更には主役である小さな男の子を見てしまったことで、男の運命が変わることになるとは。
その時は、まだ知る由もなかった。
だから男はただ、はやくケーキが焼けることを一心に願っていた。
『お隣さんは神様』シリーズ、第二段。
神様がお目覚めになったら、お隣にお姫様が!な、お話。
ワタリはね、
エンジェルなんですよ。天使ちゃんv
だから、竜崎のお世話係なんてやってるの。
...20060410
×おしまい
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